邑遊自適~好蟻性的俺~

昆虫(アリ)を中心に、たまにしょうもない趣味を綴っていく日記。 笑いなしオチなしでの~んびりやっとります。コメントやリンクも大歓迎です(リンクの際はご一報ください)。画像の無断転載はお控えください。

現在、採集した日本産アリ類(2014~)は160種(雌85種,雄45種)!!! 全てのアリをこの目に焼き付ける!!!

カテゴリ: 独り言

今日で祖父が逝って一年になる。

私にとって祖父の死は、親戚の初めての死だった。父方も母方も、そんなに若かったわけではないけれど成人するまでは誰一人欠けることなく過ごしてきた。

祖父は実家から電車とバスを乗り継いで一時間弱の住宅地に祖母とともに住んでいた。
いつも決まってリビングのテレビの目の前に横になり、昼間からどうでもいいショッピング番組を流しながら宝くじの紙に6桁の数字を書き込んでいた。テレビ消せばいいのに、と思っていたが消すと怒り、付けてもたまにぼーっと眺めるくらい。思えば私も内容は頭に入れずに只テレビを付けているだけ、ということをよくやっていた。なんとなく安心できるのは同じ血が流れているせいだったのだろうか。

散歩が趣味の祖父は、テレビの前に居ないときは外に居た。ふらっと出かけては都会までとにかく自分の足で歩き、パチンコをして宝くじを補充して帰ってくる。「前せっかく1等が当たっとったとのに出し忘れとってもったいのうことをした」といつも聞かされていたが、多分嘘だ。我が家はくじ運が悪いので、そんなの当たるはずがない。また強がりでもあるので、見栄を張っていたのだろう。一度だけ5000円?くらいが当たったときは「こんくらい普通よ」ともらったことがある。何もくれなかった祖父から唯一もらったであろう品が現金5000円とは。

お金はないのによく使っていた。訳あって養子になった祖父はその家のお金を祖父の兄共々よく使ったという。私の知らぬ大叔父の方が酷く、比べると祖父は可愛いものであったらしい。そんな人を見て育ったせいか、お金遣いの荒さは世代を経るごとに鳴りを潜め、私はケチンボである。それでもたまにお金をどっと使いたくなるときがある。きっとあいつらのDNAが流れているせいだ、と責任を押し付けている。しかし、悲惨な戦争を経験し、戦後の貧しい暮らしも経験した祖父からすると、その日得た金はその日使う、というのはあながち間違いではなかったのかもしれない。
以前唐突に、「お前が生きちょるとは奇跡」と言われた。八幡に住んでいた祖父は、8月9日も当然そこにいた。お相手が標的を変えなかったら絶対に死んでいた、と語っていた。そのとき生かされた分、毎日悔いのないよう生きていたのかもしれない(にしてももう少し節約して欲しかった)。

お金を使うのが生きがいなら、そう簡単に死んだりはしないだろう、と父とともに笑っていた。祖父、祖母、父、私の四人で食卓を囲んだ回数は数えきれない。私は一人っ子だが、父も一人っ子だ。祖父にとってはたった一人の息子と、たった一人の孫だった。そんな息子に対して祖父はえらく口が悪く、また息子の方も口が悪かったが、お互い照れ隠しであることは幼い私にもよく分かった。そんなおだやかな休日の夜が大好きだった。

昨年10月半ば、親戚の結婚式に呼ばれ京都を訪れた私は、父と二人になるときに驚くべき話を聞かされた。
祖父が脳梗塞で倒れたという。私はビックリしたが、そう大事とは思っていなかった。テレビでも、脳梗塞を患ったあと復帰している芸能人はよく見かけたし、体力もある祖父ならすぐに面白くない洒落を飛ばして退院するものだと。その場で数分話題になった程度で、特に祖父に連絡したりもしなかった。

それから一週間後、私は調査のために札幌へ赴いた。一週間ほど滞在し、アリヤドリバチの幼虫を持って帰るためだ。
四国から北海道への大移動を終え、夕食を食べて泊めてもらうお家へ行き無事一日目が終わる…はずだった。
何気なく見たフェイスブックの投稿に唖然として言葉を失った。
父の投稿だった。そこにはやせ細った腕を見慣れた父の時計の付いた手が握りしめている写真が載せられ、「お疲れ様、お父さん」(投稿を見返す元気がないので曖昧、おやすみなさいだったかも)と書かれていた。
明言は避けられていたが、祖父が亡くなったことは明らかだった。
急いで父へ電話し、真偽を問う。父はいろんな活動をしていたし、仲のいいおじさんとかかもしれない、と失礼な期待をしていた。

父から発せられた言葉は覚えていない。泊めてもらうアパートの廊下で、大声を堪えながら泣いていた記憶しかない。
私が調査に行ったのと同じ日、父は東京へライブに行っていたはずだが、それをキャンセルし既に通夜を済ませていた。
葬式もすぐに行うそうだ。私には、帰ってこなくていいと告げて電話は早めに切られた。なんとなく鼻声だった気がする。

残念だったことはたくさんある。祖父の容態の深刻さに気付かず一週間を何もせず過ごしてしまったこと、祖父の最期にそばに居られなかったこと、祖父の通夜・葬式に出られなかった(調査を優先して出なかった)こと、きつかった祖父に何の言葉もかけてあげられなかったこと……。
その後の調査や研究のことを思えばすぐに向かうべきだった。あんなものいつでも調べられるし、あのときは結果も出なかった。後悔しかない。祖父はどう思っただろうか。調査を放り出した私を咎めただろうか。そんなものより俺のとこに来い、と言っただろうか。どちらも考えられる。分からない。

調査を終えた私を待っていた酷い状況は、祖父を亡くして精神的に参っていた私を更に痛めつけた。誰も助けてくれず、懇願しても何もされず、たまらなくなって実家へ帰った。愚痴を言おうと訪れた祖父の家に、祖父はいなかった。
いつもリビングにいた。いないときは外で無駄金を使っていた。でも祖父の姿は仏壇にあり、そこから動くことはなかった。最後に祖父と会ったのはいつだったか、覚えていない。長期休暇には会っていたはずなので、夏休みが最後だったか。でも夏休みに訪れたときは採集に出かけていてあまりしゃべっていなかったような。

80を越えた頃から(というかそのずっと前から)同じことばっかり言うようになった祖父の思い出は、いつも同じものばかりでどれがどれだったか整理できない。「俺は村で一番頭が良かった」「本当なら先生になっちょったけどわざと落ちた」「彼女はできたか?」「嫁さんはどんな人もろうかの…」この辺は暗唱できるほど聞いた。結局、嫁どころか彼女ができたと報告することもできなかった。いつも同じ返答ばかりだったので、違うことを言ったら何と答えるのか気になっていたが、それも叶わない。

上記の自慢話もたぶん嘘っぱちで、結局のところ祖父が何の仕事をしていたのか知らない。昭和の初めの頃生まれたにしては背が高く紳士がかぶるようなハットがよく似合った祖父。大の甘党で、わりと甘いのが好きな私や父がドン引きするぐらい砂糖をぶち込んでいた祖父。芸術的センスに溢れ、絵が上手かった祖父。女たらしですぐ店員さんにちょっかいを出していた祖父。書き出せばいろいろ出てくるが、底知れぬミステリアスさがあった。もっといっぱい話を聞きたかったが、少し謎があったくらいがカッコいいのかもしれない。
連続で一人っ子が続いたため祖父の血が流れているのは私と父だけ、後につなげられるのは私だけだ。約束はできないが、祖父にこんな嫁さんもらったよ、と報告するためにもなんとかしたいものである。そのとき祖父はなんと答えるだろうか。
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大学に4年近く通っていて、初めてのミスを犯してしまった。周りでやらかしていた人は度々見かけたが、まさか自分が…。
これだけは今まで一度もしたことがない、と自信を持ってきたのだが、本当に間が抜けていた。なんと情けない…。

しかし、今回はご温情によりなんとか事なきを得た。
常日頃より、 捨てる神あれば更に捨てる神あり と思って過ごしていたが、世の中にはまだ拾う神がおられたようだ。
今後一切このようなことがないようにしなければ。
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空カワゲラ。
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ハエヤドリクロバチをガン見するハバチ。
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すころばーてす。可愛い。ちょっとコマユバチック。
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"忙しい"という言葉は嫌いで普段は使わないのだが、今は本当に忙しい。

全ての原因は一つの行事。
これのために手と頭と時間を使い、気が付けば寝る時間。他のことはまったくできない。

何か能力に長けているというのは武器になると信じてこれまでやってきたのになあ。
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今日から3連休。すでに本日5時就寝12時起床。一日は短い。
いろんな人が甲虫学会に行っていて研究室は寂しそう。

亀の餌あげに行かなきゃ。
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