4年間通った大学を卒業したと共に,4年を過ごした松山を去った.

高校を卒業して,ドタバタしたまま松山にやってきた4年前の春.
第一志望校に落っこち,しかも縁もゆかりもない四国に行くことに,自分だけでなく周りもあまりいい顔はしなかった.親しい友人たちには第一志望校へ進むためにもう一年頑張る道を選んだ者が多く,なんだか逃げるように福岡を出ていった自分は彼らに合わせる顔がないな,と思っていた.

四国暮らしが始まっても苦労は続いた.直線距離では近いはずの四国は,福岡とは全然違っていた.街の大きさ,人の数,気候,言葉….特に言葉の壁が大きく,福岡が東京式アクセントなのに対し愛媛では京阪式だったので,独特の方言は勿論のこと,ほとんどの言葉に違和感を感じる始末で本当につらかった.唯一伊予弁で博多と共通していた"~けん"も,都会の人たちが田舎の言葉だと馬鹿にするので,結局訛りを封印して標準語みたいに話すしかなかった(度々ボロを出していたが).
違和感は接し方にも表れ,うまく話せない.広島人や香川人が自己紹介でもてはやされる一方,福岡です,といっても"あ,九州…"で終わり.入学式が終わっても友達ができず大学生活はマイナスからのスタートとなった.

しかし,自分がなんのために海を渡ってきたのか思い出したことで道は開けた.昆虫について学びたい.
わりとここぞの場面での運には恵まれる方である.偶然に偶然が重なり,4月の半ばには研究室に出入りするようになっていた.それからは,ここに書いてきた通りである(と言えるかは微妙だが).

そりゃ,いいこともあれば悪いこともあった.嬉しいこと楽しいことよりも納得できないことの方が多かった.男子校とは何もかもが異なる環境と人々に,不安と不満が募ることも多々あった.愛媛という地,松山という街に対しても,最初住み始めた頃は何かと博多と比較していたし,いつも不満を感じていた.
でも,そこは大人にならなければいけない.自分が今置かれた環境で,ベストを尽くす.うまくいったと思えたことはほとんどなかったが,それでも諦めずに喰らいついていけた(と思う).半分は反骨心だったかもしれないが,この業界は結果が全てだ.

結果的に4年間研究室に通い続けられたし,いつしか松山という街が大好きになっていた.
特に松山への愛はE大の他県出身者では一番ではなかろうか.実際,好きになるしかない街なのだ.
コンパクトに中心部にものが集まった街で,人の数も最適だ.私が住んでいた場所がこれ以上ない好立地だったというのもあるが,家からすぐそばに素晴らしい採集地があり,コンビニ・スーパー・定食屋・駅・バス停・アーケード街・観光地・図書館・美術館・大学すべてが自転車で10分以内の場所にある(これで家賃3万台だ).平坦な場所が多く,しかも瀬戸内気候で雨が少ないので自転車でどこまででも行ける.
今後の人生でこれ以上の場所に住むことができるだろうか…卒業式の日,同じく松山を離れる友人たちと,松山の素晴らしさについて語り合った.

今年は院進組もよそに行く人が多く,松山での4年間を胸に,それぞれの道を歩んでいく.
今でも松山は恋しい.でもだからこそ卒業するのだ.私は九州に戻るが,松山市民として九州へ"行く"気持ちだ.松山で過ごせたから今がある,と胸を張って言えるよう,結果を出す.大事なのはこれからだ.